九州を拠点に活動するウルトラランナー・平田時正。40歳で走り始め、バックヤードウルトラという極限の競技の世界へ。なぜこの男は走り続けるのか——全10回の連載。
2026年5月、平田時正は橘湾岸スーパーマラニックE217kmを21時間41分25秒で走り切り、大会新記録を打ち立てた。53歳。走り始めたのは40歳のときだ。
レースの後、平田はこんな話をした。
「マジンガーZって知ってますか?頭の先にある操縦席からロボットを操る、あのイメージです」
自分というマシンを外から操縦する感覚は、フルマラソンで記録を追いかけていた2016年頃には既にあったという。しかしそれだけでは足りなかった。当時、偉大なランナーたちを「遠い、高い場所にいる存在」として捉えていた。平面の上の「位置」として。
トレイル、超長距離、24時間走、バックヤードウルトラ——世界を広げ、その競技で上位に立つ者たちを目の当たりにするうち、また2025年の崩壊と復活を経て、何かが変わり始めた。益田24時間走、世界選手権、神宮外苑——そして橘湾岸で確信した。
「それまで2次元で捉えてたものが、3次元で捉えられるようになりました。『位置』ではなく『域』です」
上下でも前後でもない。3次元の空間の中で自分がどの「域」にいるかを感じられるようになった。レース中、プランが崩れたとき、対応のパターンが平面ではなく立体で広がる感覚がある。
「ギリギリ届かないかもしれない所をしっかり取りにいける、掴める感覚が養われました」
ゴールデンウィーク後も回復は順調で、5日後に15キロ、10日後に60キロ、その3日後には宝満山の40キロも問題なくこなした。来年春までの明るい未来予想図を描いていた。違う扉が、開いた——そんな確信があった。
その1ヶ月後、彼は路上の真ん中で動けなくなっていた。5メートル先の玄関に、たどり着けなかった。

「また繰り返しますよ」
5月29日の朝、前屈をするたびに腰に痛みが走った。
しかし平田は慌てなかった。20年以上荷物の配達を続けてきた身体が知っていた。「いつもの感じだな」と。3日で慣れ、1週間で回復する。それがパターンだった。最終手段としてブロック注射がある。「高を括っていました」と平田は言う。
最初に注射を打ったのは5年ほど前のことだ。前屈がまったくできないほど痛くなり、仕事を続けられるかという状況まで追い込まれた。知人から教えてもらい、打ってみると、その瞬間から効いた。しかしそのとき、医師からこう告げられていた。
「これは痛みの神経を一時的に切っているだけで、根本治療ではない。また繰り返しますよ」
しかし平田はその言葉を軽く聞いた。その後は年に1回打つか打たないかの頻度で乗り切れていたし、打てばいつも効いた。喉元を過ぎれば、リスクは遠のく。「最終手段としてブロック注射があるから大丈夫だろう、と高を括っていました」。
今回もそのつもりだった。
翌々日のトレイル駅伝にもアンカーとして出走した。しかし6月1日に打った注射は、今回に限って効かなかった。
「今までの感覚と違う。痛みをごまかせない感じがしました」
これまでは左腰が痛んでいたが、今回は右腰だった。その小さな違いが、頭の隅に引っかかっていた。
痛みは日を追うごとに増した。6月3日の夜、それでも仕事の配達へ向かった。1件目の配達先に着き、5メートル先の玄関へ向かおうとした。足が出なかった。何度か試みて、その場から声をかけて荷物を渡した。車に戻ろうとした瞬間、5メートル手前の道路の真ん中で完全に動けなくなった。
「『これはまずい、終わったな』と思いました。もう笑いしか出てきませんでした。全部終わったね、という感覚でした」
上司に連絡して助けを呼んだ。先輩が救急車を呼んだ。

腹の中では、決まっている
救急車を待つ間、頭に浮かんだのは走ることではなかった。
「一番に頭に浮かんだのは、生活や仕事のことです。お金や生活面は何とかなるだろうとは思いました。ただ、これはもう注射や薬でどうにかなるレベルではないな、と」
車からストレッチャーへ移る際、平田は声を上げた。「発狂してずっと大声を出していましたね」。搬送先の徳洲会病院でCT、MRI、レントゲン、心電図。そのまま入院となった。
入院から手術まで5日間あった。4種類の痛み止めと痺れ止めを服用しても、耐えられない激痛が波のように来た。転落防止の柵を握りしめながら、呻き声を上げて耐えた。
「頭がおかしくなりそうでした」
6月8日、手術が終わり目が覚めると、嘘のように痛みが消えていた。「余裕で復帰できるな、と楽観的になりました」。しかし翌日のリハビリで立ち上がろうとした瞬間、右足に力が入らず膝から崩れ落ちた。
「えっ、何これ?と心底びっくりしました」
ヘルニアを起こしていた「L5/S1」から、お尻、太ももの裏、ふくらはぎ、足先へと神経が伸びている。圧迫の原因は取り除いたが、長期間強い刺激を受け続けた神経自体が凹んでしまっていた。現在、右足のかかとは1センチほどしか持ち上がらない。
「気合や根性の問題ではなく、神経が繋がるかどうかの話なんです」
退院後は3日単位でリハビリのプランを組み直してきた。しかし先週、少しジョグを試みたところ奥の神経に触るような痛みがぶり返した。
「三歩進んで五歩下がってしまった感覚です」

今朝、妻・みきの前で初めて口にした。
「サテライトに行くのは、多分無理だ」
8月中旬にバックヤードウルトラ世界選手権の出場確認がある。チーム戦の舞台で仲間の足を引っ張ることを、彼は恐れている。「個人戦ならダメ元でも挑戦できますが、代表はそうはいきません」。
ただし、この「多分無理」は諦めを意味しない。
最近、ある漫画のセリフに自分がずっとやってきたことが言語化されているのを見つけた、と平田は言う。
「正しい選択ではなく、通った道を正解にする」
神宮外苑で崩れた2025年も、手術台に乗った今も。この姿勢は変わらない。怪我をする直前、みきに話していたことがある。「神宮外苑で勝つ」と。2027年3月、次の世界選手権選考レースとなるあの舞台で、もう一度。
「1年前の自分だったら、この状況を受け入れられなかったかもしれない。でも今は、もう一度神宮外苑で返り咲くという思いが自分の中にちゃんとあります」
違う扉が開いた確信は、まだ消えていない。
大会新記録を打ち立てた男は今、右足のかかとをペタペタと床に着けながら歩いている。それでも、また走ろうとしている。なぜ走り続けるのか——この連載は、その問いを追いかける。

橘湾岸スーパーマラニックE217:長崎県を舞台に開催される超長距離ロードレース。長崎市をスタートし、橘湾沿いの岬を巡りながら島原市を目指す217kmのコース。累積標高は約5,000m。
バックヤードウルトラ世界選手権(サテライト大会):正式名称「Backyard Ultra World Team Championship」。世界50カ国以上で同時開催される国別対抗のチーム戦。各国15名の代表が参加し、総周回数を競う。詳細は第4回の競技解説を参照。
神宮外苑24時間走:東京・明治神宮外苑の周回コースを24時間で何キロ走れるかを競う大会。24時間走の国内最高峰のひとつで、世界選手権の選考レースも兼ねる。