はじめまして、森田ゆうこ(ゆうこりん)です。
熊本市の「花岡山道場」の一員として、7trailsラジオ練の「epi59 師匠と愉快な仲間たち。押忍!!花岡山道場」の回に参加させていただいてから、早いもので3年が経ちました。
その後も各地のイベントや大会でご縁が続き、花岡山道場の名前が少しずつ熊本県外の方にも知っていただけるようになったことをとても嬉しく思っています。
このたび、主宰のイシカワさんより、7trailsホームページリニューアルに伴うWEBマガジン「issue」での連載のお話をいただきました。コラムの集合体って魅力的じゃないですか!?
ランナーとしては凡庸で足も速くない私ですが、いろんな人がいてもいいはず。日々の「お散歩ジョグ」から見えること、時には人生の山や谷の越え方をのんびりお伝えできればと思っています。
隙間時間のお供にお気軽に読んでいただければ幸いです。
ゆうこりん
そうそう、最初にひとつ。
私は「ゆうこりん」と呼ばれています。
うん?呼ばせています。
もちろんコリン星出身ではありません笑
この呼び名が生まれたのは20代の頃。
当時の私は福岡で母子家庭。子供二人を育てるため、男性社員に負けないくらい働き「仕事ができる人」に見られたくて肩に力を入れて毎日を追われるように過ごしていました。
そんな頃、ちょうどテレビでは小倉優子さんが「ゆうこりん」と呼ばれていた時代。
会社でも誰かが私を「ゆうこりん」と呼び始め、それがすっかり定着しました。
不思議なもので、呼び名ってその人の纏う空気まで変えてしまう気がします。
仕事でピリッとしていても、「ゆうこりん」と呼ばれると、少し肩の力が抜ける。
真面目な空気をほぐすようなおバカっぽい間の抜けた響きが私は案外好きでした。
あれから25年くらい経ってしまいました。。今更ながら近年ゆうこりんは無理だろうと思っていたのに、やっぱり気に入ってるのでこちらの連載でも「ゆうこりん」でまいります。
私と山のはじまり
亡き父は、山を歩くのが大好きでした。
両親が離婚して母と暮らしていた私は、お盆や正月だけ父のところへ遊びに行っていました。
初詣で太宰府天満宮に行くときも「渋滞が嫌だから」と四王寺あたりに車を停め、そこから歩かされるのが常でした。子供の足にはけっこうな距離です。
当時の私は、もちろん今みたいなトレイルシューズなど履いていません。昭和のアニメのビニール靴です。
ときにはその靴で宝満山にも登らされました。親指の部分が破れて出てしまっている靴下で…今思うと、J1クリームも塗らない足でよく登ったなと感心します。
その後、結婚・出産とライフステージが変わり、しばらく山から離れていましたが、自分の時間が持てるようになった頃、自然と山歩きに戻っていました。
親の背中を見て育つとは、こういうことなのでしょうね笑
そんな両親の背中を見ていたせいで私にとっても離婚は人生の選択肢のひとつになっていました。親同様に結婚→離婚→再婚…と山あり谷ありの道をなんだかんだで全部歩いて(走って)しまいました。
決めたら行動が早い!どうやら私は振り返らず前を向いて走るタイプのようです。
時間だけは止まることなく経過する、人生もレースも関門だけは気を付けています。
31歳で熊本市民に
19歳で息子を、21歳で娘を出産した私は31歳で再婚し福岡市箱崎から熊本市へ移り住みました。
立花山や那珂川の山歩きから、美里町の「日本一の石段・3333段」をジムの代わりに毎週登るようにもなりました。
運動したからいっか!と。。ご飯が本当に美味しくて、つい食べ過ぎてしまう日々でした。
40代、血圧と体重の増加
運動しているはずなのにお腹のくびれがすっかり消え、母に相談すると「私も45歳まではダイエットなんて気にしたことなかったのよー」とお腹をポンと叩きながら言われ…。
「ああ、このままじゃ母と同じ未来だ」と、未来予想図を見せられたような気がしました。

42歳、富士登山計画
「人生に一度は日本一高いところに登りたい」
そう思って42歳で富士登山を計画。近所の白川沿いでジョギングを始めたのが、私のランニング人生のスタートです。
自転車をやっている兄のお下がりのGarmin Forerunner 110をもらい、その頃の機種は心拍計が別のタイプで胸に心拍バンドをつけて走り始めました。
最初は「お風呂の前の30分」くらいの感覚で、キロ7分ペースがキツくて、歩きながら帰ることも多かったです。
でも根気強く続けて半年。
ウエストに乗っていたお肉がスッキリ落ちて…「これはもう、走るのをやめたら母の未来予想図一直線だ」と本気で思いました。

富士登山は無事クリア。ですがその後もジョギングは続けることにしました。
まさか100マイルまで行くなんて
富士登山がきっかけだったジョギング。
まさかそれが、フルマラソンでギリギリサブ4、Fuji100をはじめとする100km・100マイルのゴールへと繋がるとは、当時は夢にも思いませんでした。
大きなレースに出るためにはそれなりのレースをクリアしなければいけないと知り、最初は出場すること自体が想像できないレベルでした。
その後「花岡山道場」と出会い、初めてのトレイルレースは「キタクマヤッホートレイル」のショートコース。エントリーをキッカケに少しずつ、マイペースに走る楽しさを覚えていきました。
毎日走っているのに足は速くありません。走り始めの2kmはいつもしんどい。
お酒が大好きな私は飲みすぎた翌朝は爽やかどころか腐敗の進んだゾンビです。
でもコツコツやる「鋼のメンタル」を搭載して、日々の朝んぽ(花岡山ジョグ)を続けています。
次回は、走ることを暮らしの一部にしていく中で気づいたこと、女性ならではの身体の変化や日焼け・生理との付き合い方など、私なりの向き合い方をお話ししたいと思います。
今朝も、花岡山へ向かいました。
