あしたこそ走ろうかな
2

愛はかげろう

この時期になるとヒラヒラとウスバカゲロウが飛ぶ。この儚い命の虫と、母親の思い出がシンクロしている。

僕の母親は8月の暑い時期にこの世を去った。その出来事と夏のいくつかの風物詩が強烈に僕の記憶に焼き付いていて、そのどれか一つでも見るとその日に呼び戻される。

母親が入院したのは6月の中旬だった。最近腕が痛くて眠れないと言っていた。趣味であるパチンコのしすぎだろうと兄弟(子供たち)から言われていたが、あまりに痛がるので病院に連れて行くと末期の癌だった。お盆まで持たないと言われた。

入院すると寝たきりになり、食べることもできなくたった。点滴を通して、痛がるのでモルヒネを投与され、意識は混濁し昼も夜もわからなくなっていった。

お見舞いに行ってもボーとこちらを見返すだけで反応もなかったが、ごくたまに僕のことをしっかり認識できる日もあった。そんな日は何が食べたいか聞く。いつもメロンだった。すぐにメロンを買いに行き、実を口元で絞ってやった。「美味しい」と言っていた。なので、このメロンも僕にとってはこの日に連れて行かれるトリガーになっている。

お盆まで持たないと言われた母親は、お盆の日まだ生きていた。僕は15日に母親の病院にお見舞いにいった。夕方過ぎだった。カゲロウの大群が水銀燈の周りを回っていた。

この日は意識がはっきりしていて、会話ができた。何が欲しいか聞くと、姉ちゃんちに行きたいと言った。母親の子供、長女の家だ。ダメもとで看護師さんに少し連れて帰っていいかと聞いたら、車椅子を用意して許可をくれた。僕は枝みたいに細くなった母親を車椅子に乗せて姉の家に連れていった。

けれども姉はいなかった。

近所で盆踊りがあっていて、唄が聴こえていた。この辺りは初盆の家を回って踊る習慣がある地域で、集落をあちこち回っているのだ。

さすがに連れて行くわけには行かないので、少しの間待っていたがなかなか帰ってこない。母親はもうキツくなってきたと言うので、もう諦めて病院に連れて変えることにした。

帰る途中、家に帰りたいと言い出した。僕は一瞬なら大丈夫かなと思い、連れて帰った。

僕らの家は5階建ての団地の4階だった。

母親をおぶって4階まで上がった。驚くほど軽かった。この時僕は二十歳で運動もしてなかったが、全く重さを感じなかった記憶だ。

家に入ると母親は正座をして仏壇に手を合わせた。僕の父は僕が生まれてすぐに死んでいて、僕には父親の記憶が全くない。寝たきりで意識もほとんどなかった母親が正座をして仏壇に手を合わせている様子は不思議な光景だった。

もう死ぬんだなと思った。

母親を病院に連れて帰ると病院中が大騒ぎになっていた。

血相を抱えて看護婦さんたちが車椅子に母親を乗せてる僕を取り囲み「何を考えてるですか」と怒っている。僕はちゃんと許可をもらったと説明すると、そんなはずもないし、僕が許可をもらった髪の長い看護婦さんはそもそもいないと言う。

不思議だけど、その人がちゃんと許可を出してくれたから連れて出たのだ。

母親はすぐに部屋に連れて行かれ点滴をつけられた。呼びかけても反応しない。疲れて寝てしまってた。

母親は数日後に死んだ。

父が連れていったんだろう。

いろいろと不思議なことがあったが、すごいタイミングで押し込んできたなと思った。

ミラクルだよ、母ちゃん。

この暑い時期に、

カゲロウとメロンと盆踊りの唄、そして線香の匂いを嗅ぐとあの日のことが鮮明に甦る。

ひとはいつ死ぬかわからない。

生きてるうちにしたいことをしよう。

母ちゃんが死んだのは58歳だった。今年の10月、俺はその歳をひとつ越える。

そういう気持ちも、この出来事とセットであらわれてくる。


石川博己のアバター

@rolleinar