九州脊梁におけるトレイルランの原点
九州脊梁のトレイルランの歴史を振り返ると、この方の話抜きには語れません。2008年に九州初の本格トレイルランレースとして始まった「九州脊梁山脈トレイルラン in 山都町」は、私と同世代のランナーさんには馴染みの深い大会だと思います。このレースを立ち上げた人物が、私が心の師として仰ぐ“脊梁の父”永谷誠一さんでした。この大会の第3回に出場したのが私のトレイルランニング人生の始まりでしたし、永谷さんに出会っていなかったら今の自分はいないでしょう。
永谷さんはスズ竹が生い茂り、荒れ果ててしまった古道を仲間と一緒に切り開き、10年がかりで整備され、登山道として蘇らせました。全国的なトレイルランブームの高まりを知った永谷さんは「このコースを使って熊本初のトレイルレースを立ち上げたい」という夢を膨らませ、山梨でトレイルレースをプロデュースしていた福田六花さんを招聘しアドバイスを受け、翌年には初回大会の開催を実現させました。六花さんから聞いた話ですが、雑誌ランナーズ編集部に六花さんの記事を読んだ永谷さんから達筆な筆文字で書かれた手紙が届いたのだそうです。当時81歳だった永谷さんの熱意に動かされ、それからも交流は長く続き、永谷さんの行動力、情熱、生きざまから数え切れないほど多くのことを教わったと後に六花さんが語られています。



1995年から始めた登山道整備プロジェクトで大きな味方となってくれたのは、緑川源流域に暮らす地元の皆さんでした。そのリーダー的存在だったのが黒峰の麓に住む奈須昇さんです。山のことを知り尽くした奈須さんの話はいつも新鮮で、山に生きる知恵と術がたくさん詰まっていました。優しい語り口は今でも忘れられません。
黒峰とトンギリ山の山頂標識にはそれぞれ「奈須昇」と「永谷誠一」の名前が刻まれています。仲良く並んだ二つの山の山頂でいつも2人が待ってくれているような気がして、私の心のよりどころとして足繁く通っています。



多くのトレイルランナーから親しまれた大会「九州脊梁山脈トレイルラン」は、2023年に行われた第15回を最後に、開催地域、コース上の調整が困難となり、大会の開催を見合わせることになりました。普段人がほとんど通らない登山道、大会がなくなればあっという間に道は荒れてしまうでしょう。永谷さんたちが蘇らせた道を守っていかなければならない…2024年からはレース形式ではなく、少人数のグループランでこのコースを走るイベントを始めました。今年も9/12(土)にグループラン&BBQイベントを開催予定です。定員35名、9/5(土)まで申込み受付中です。
次につながるもう一つの大会「九州脊梁ピストントレイル」
「九州脊梁山脈トレイルラン」のコースを一部使ったもう一つの大会を2021年から始めました。真夏の脊梁を走る「九州脊梁ピストントレイル」です。今年第6回目となる大会を先月終えたばかりですが、熊本地震の直後だったにもかかわらず、200名近い選手の皆さんが極上の稜線トレイルを駆け抜けてくれました。

「九州脊梁の大会で駅伝をやりたいんだよ。チームで襷をつなぐ姿が見たい。」晩年私に夢を語ってくれていた永谷さん。2022年7月に95歳で天寿を全うされましたが、その一週間後に九州脊梁ピストントレイルの第2回大会が開催され、五ヶ瀬スキー場からの3ピストンと3人のチームで走る駅伝部門が実現しました。ミラクルが起こったのは制限時間間際に最終走者がゴールしたその直後、ゴールゲートの先に大きな虹がかかったのです。脊梁の空から永谷さんが「よくやったなぁ〜!」と喜んでくれているかのような奇跡でした。脊梁を愛した先人たちの想いはこうして受け継がれていくのです。


そしてこの大会での喜びの一つが、3年前から娘と息子がボラスタッフとして大会を手伝ってくれるようになったこと。今年もトンギリ山の通過チェックを担当し、選手の皆さんとの交流を楽しんでいました。スタート会場で出店してくださったスカイトレイルの椎山さんも夜明け前から娘さんと2人でお店の準備をされていたり、選手にも親子参加の方がおられたり…トレイルランを楽しむ姿が次の世代へと受け継がれているのを感じて胸がじんと熱くなりました。
日本最南端のスキー場として愛された五ヶ瀬ハイランドスキー場の閉業が決まりましたが、今後も同じコースで開催できるよう来年に向けてまた始動していきます。ロング、ショートに挑戦するもよし、仲間と襷をつなぐ駅伝もぜひおすすめします。
来年夏、またこの場所でお会いしましょう!

