狭間世代代表
本稿が公開される10月1日には、自分はいよいよ30代最後の年を迎えている。
9月26日、池谷幸雄やターミネーターのサラ・コナー役でお馴染み、リンダ・ハミルトンと同じ誕生日。日本語ラップでいえば、かせきさいだぁ≡氏や、山☮️マン氏(ラッパ我リヤ)と同じ。
論語的には「四十にして惑わず」まであと一年。皆さんのおかげでなんとかここまで生きてきた感がある。
とはいえ、諸先輩方からするとまだまだ若造。あらゆることに全力で向き合い、まだまだ吸収したい永遠の18歳の気持ちで頑張ります、押忍。
いや、永遠の18歳はさすがに痛いな苦笑
1987年、昭和62年、卯年。
mixi全盛期の高校卒業くらいまでは、同い年もそこそこ世の中にいた気がするし、迷惑メール対策としてガラケーのアドレス変更案内を口実に、久しぶりに近況連絡をしてみる、みたいなコミュニケーションもあった気がする。それがFacebookになり、Twitterになり、Instagramになり、コミュニケーションツールが変わっていくごとに徐々に交流が減っていき、気づけばみんなまったくSNSにも浮上しなくなったし、リアルで会う機会も全くなくなってしまった。
あれ、T幕原型ウイルスで35歳を境にみんな絶滅した?
愛されるより愛したい。僕らの勇気、未満都市。
ちなみに、当時自分は小4でしたが、97年あの宝生舞がどタイプでした。
閑話休題。冗談はさておき、マジで周りにびっくりするほど同い年がいない。
子育てに仕事に、ある程度責任を伴う年齢を迎えたからなのか。トレイルでも面識のある同い年は数えるほどしかいない。正直、トレイルで一緒に遊ぶ人の年齢を気にすることもないし、どうでも良いっちゃ良いのだが、1個上の昭和61年寅年や2個上の昭和60年丑年の人は逆に、「なんでこんなに人口いるの?」っていうくらい多い。特に昭和61年寅年なんて、思いつくだけでも強い選手ばかりだし、人間的にも尊敬する人だらけではないか。
どうした、昭和62年生まれ。みんなどこへ消えてしまった?
思い返せば僕らはいわば、ゆとり第一世代。そして、10代の頃からなんとなく感じていたことではあるが、マジでパッとした同学年がいない。
少なくとも自分はそう感じながら生きてきた。
中学でも高校でも、1個上、1個下の先輩・後輩にはかっこいい人が多くて、いつも憧れていたのは前後の代だった。
スポーツ界を見ても、上には本田圭佑。下には香川真司。野球なら上にダルビッシュ、下にはマー君。
そんな僕ら昭和62年生まれは、落合福嗣くん世代である。フィギュアスケートなら安藤美姫・織田信成世代。
言わんとすることはわかるだろう。
そう、我々は狭間世代。
そんな昭和62年生まれも、生まれて数年でバブルが崩壊、日本経済に明るい未来が待っている感をほとんど味わえないまま、昭和・平成・令和と3つの時代を経て、気づけば40手前となった。
会社員ならある程度のチームを任され、係長や課長という役職についている人も多いだろう。子どもが学校に通っている人もいることだろう。そりゃSNSなんて更新する暇もない。そんなことより明日を生きることの方が重要である。
40歳という節目まであと1年。
特に最近、上の世代と下の世代の間にいる「中継ぎ」みたいな役割を意識することが増えてきた。考えてみれば、この感覚は最近始まった話でもない。
20代後半、それまで自分より10年以上経験豊富な先輩たちが担っていたポジションに、会社が思い切って若い、そして経験も浅い自分をインドに送り込んでくれた。古臭いところも多い典型的な日本企業だったし、当時は生活でも仕事でも途轍もなく苦労したけれど、若手を登用してくれたことは今でもありがたかったと思っているし、当時お世話になった上司、先輩、そして受け入れてくれたインドのローカルの同僚には感謝している。
せっかく若い自分に機会を与えてくれたのだから何とかして爪痕を残したいし、それによって次の若い人にも同じようなチャンスが回ればいい。反対に、あいつをインドに送ったのは失敗だった、なんて言われて若い世代の挑戦する機会を奪ったら最悪や。
そんなことを当時から考えて必死に仕事をしていた。

ただ、自分が遊びにしろ仕事にしろ、10代・20代、そして30代でこれまで先輩たちから教えてもらったことや経験させてもらったことを自分たちの代で止めるのは勿体無いと最近よく思う。
当時は完全に受け取る側だったのが、いつの間にか少しずつ渡す側にもなってきたということなのかもしれない。当然、自分自身まだまだプレーヤーとしてやりたいことだらけだし、学ぶことも山ほどある。毎日楽しくて仕方ない。
