前回、僕は自分のことを「ミスター普通」と書いた。
何でもそこそこできる。でも、何かで突き抜けているわけではない。
これまでの人生、結構フラットであまり山谷がなかったと思う。
死ぬ気で挑戦するということもなかったので、大きな成功もなければ、逆に挫折もなかった。いつもそこそこ。
そんな僕が、50歳を過ぎて初めて「限界」というものを意識するようになった。
限界は自分が作る
それは自分でリミッターを掛けていたように思う。
そこそこのとこまでは行けるけど、そこから先は覚悟が必要という場面で、「これぐらいで良いや」と自分に限界を設定していた。
踏み込まなくてもそこそこまで行けているから、敢えてそこに踏み込む必要がなかったとも言える。
おそらく、失敗することを「恥ずかしいこと」と恐れていたというのもある。
でも、50年以上生きてきて、そんな「そこそこの人生」に、何となく物足りなさを感じていた。
トレイルの100マイルをクリアしても、どことなく物足りなさがあった。それを僕は「まだ伸びしろがあるからだ」と思っていた。
でも、今思えば、それは伸びしろというより、また自分で限界を決めていただけだったのかもしれない。
奥武蔵の洗礼
2025年、5月彩の国100マイルと11月FTR100マイルで失敗した。
制限時間は厳しいけど、まあ行けるっしょ、という根拠のない驕りがどこかにあった。
でも奥武蔵はそんなに甘くなかった。
帰りの電車の中で、これまでにあまり感じたことのない悔しさを覚えた。
それまでの僕なら、「まあ、今回は仕方ない」と自分を納得させていたと思う。でも、この時はそれができなかった。
「お前はこのままで終わっていいのか!?」この時から自分の限界に対する向き合い方が変わった。
おれはサイラーになる!
2026年の彩の国100マイルを完走してサイラーになるために、覚悟を決めた。
完走するためにできることはやると腹を括った。
嫌になるほど試走をした。チームメンバーと行くこともあったが、ほとんどは一人で走った。
自宅から2時間30分移動し、10時間山を徘徊して、また2時間30分かけて戻る週末を繰り返した。
決して楽しいことではなかった。何度も明日は試走行くのやめようと思った。けれども何とか気力を奮い立たせて、試走に試走を重ねた。
また、石川さんが主催してくれた勉強会の存在も大きかった。
自分のための試走が、いつからか自分のためだけじゃない試走に変わった。
試走で感じたことを言語化するアプローチが、自分への新たなインプットになり、完走の確率をさらに高めたことは間違いない。
突き抜けた何者かになりたい
おかげさまで、サイラーになることができた。
サイラーは中々エッジの効いた称号だと思う。チーム内でも「サイラーすごいですね」との賞賛をもらえる。
これまで平々凡々だった僕が、自分の限界を突破し、少し突き抜けた何かになれた気がした。
「これぐらいで良いや」ではなく「もう少し上に行けるんじゃないか」というマインドセットができるようなり、ようやくこの年でそういう境地の端っこにたどり着けた。
でも、まだ端っこにかろうじて引っ掛かっているだけ。
本当の勝負はこれから。
・・・なんて、ちょっと意識高い系なことを書いてみたが、まだまだ「突き抜けた何者か」には程遠い。
さて、次はどこまで行けるのか。
もう少し、自分の「伸びしろ」とやらを信じてみたいと思う。
なぜはしるのか?
それは限界突破するためだったのかもしれない。でも、限界を一つ超えたら、またその先に限界が見えてくる。
そう考えると、結局僕はこれからも「新たな自分」に出会うために走り続けるのだろう。
・・・まあ、走るのは相変わらず好きではないのだけれど。


