トレイル時々メシ。
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青椒肉絲(チンジャオロース)

突然だが皆さんは痛みの定義をご存知だろうか?

国際疼痛学会(IASP)によると「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」を痛みの定義としている。

特に情動の不快な体験というのが「心理、社会的要因に影響される個人的な経験」とも明記されている。

…もはやなんのこっちゃだが、要約すると、怪我してなくても痛いと感じたら痛いし、しかも思い込みや生まれ育った環境で大したことない怪我もすげー痛いと感じたりする、と言うことである。

そしてこれは食文化(食べ物の好き嫌い)にも全く同じことが言えるのである。

(✴︎あくまで持論です)

食べ物の好き嫌い…自身の信念、宗教観、社会的背景など、生まれ育った環境で少しずつ形成されていくものであり、身近な存在から最も強く影響を受けるのは経験的にもお分かりいただけるだろう。

前置きがとても長くなったが、私が言いたいのは妻が嫌いな食べ物は娘も嫌いになりがちということだ。

ピーマン。

妻はピーマンが嫌いだ。
理由は「あんな苦いものをわざわざ食べる必要がない」という事らしい。

確かに幼少期はそうかもしれないが(ピーマンを好きになるよう歌にしたピーマン体操とかあるし)大人になったらそうでもないよね?
ピーマンは低カロリーでビタミンや葉酸、抗酸化成分が豊富な野菜で、これだけ聞いても美容に良さそう、女性は好んで食べそうとか思うけど。
しかし「そんなことは関係ない」と一瞥もくれず我が道をいく妻。
多分彼女のこういうところに私は惹かれたんだろう。

少し脱線するが、ピーマンはカリウムも含まれるため大量に汗をかく我々ランナーにとってもありがたい。先に述べたビタミン、抗酸化成分と相まって身体のリカバリーに最適な野菜の一つだ。

ピーマンが苦いと感じる理由は主に2つある。
ひとつはポリフェノールの一種である”クエルシトリン”でこれが苦味の主成分である。もうひとつは”ピラジン”でこれはピーマン特有の青臭い香りを生み出している。
苦味の主成分である”クエルシトリン”だが、水や油に溶けやすく調理前に水洗いをしたり油で炒めたりするとその苦さを緩和することができる。また、ピーマンの細胞は縦に配列されているので、単純に繊維方向に沿って縦に切ることで中にある”クエルシトリン”が流れ出ることを防ぎ苦味を抑えられる。そう、工夫次第で苦味はどうにでもなる。

ただ遠い過去、妻が晩御飯を準備してくれていた時代、食卓にそれが並ぶことはなかった。嫌いなものをわざわざ選んで調理する妻ではない。時々私が買ってきて調理したとして、もちろん食べる妻ではない。そんな妻のことが大好きな長女も物心ついた頃にはピーマンをすっかり嫌いになっていた。

青椒肉絲。

時を経て、晩御飯当番になった私。

既に大人も大人になった妻の食の好みを今更変えたい、と言うことはないが子供たちの話となれば別だ。
私自身は
「好き嫌いなく食べなさい。(=しのごの言わず食べろ。食べ終わるまで立つことは許されない)」
と一般的昭和の家庭で育ってきたが、それをそのまま踏襲したりはしていない。時代は令和である。
鮮度が高いピーマンは美味しいし、調理次第で苦味より甘味が強くなる。このピーマンを通してどんなものでも視点や立場、工夫を凝らしたりアイデアを加えたりすることで、違った景色が見えてくる、それを暗に子供たちに伝えたいのだ。

そんな父なりの壮大な想いを巡らせつつ、ピーマンを食卓に出す。
中華の定番、青椒肉絲だ。
牛肉とピーマンを細切りにして炒め、片栗粉で少しとろみをつける。味付けは醤油とオイスターソース、子供たち向けに少し多めに砂糖を入れて甘めに仕上げる。牛肉の油でコーティングされたピーマンはより鮮度を増したような輝きを放っていて、そこから立ち昇る湯気が食欲をそそる。我ながら上出来だ。いざ、尋常に勝負!

「私ピーマン好きじゃないから。」
やはり一瞥もくれず跳ね返す妻。ブレない。3周回って好き。
彼女と結婚できたことを誇りにすら思う。

「私もいらない。苦いもん。」
私の子でもあるが妻の子でもある。長女もやっぱり食べなかった。

救いは次女と三女が食べてくれたこと。
次女は一日三食ハンバーグでいいというくらいハンバーグが好きなので、ほぼハンバーグであるピーマンの肉詰めから導入しピーマンをすでに克服していた。青椒肉絲も最早ハンバーグだ。
三女は食に関してはすでに人生を1周してきたようで、5歳になる頃から「刺身にはワサビ」と教えていない二語文を言い放っていた。そもそもピーマン嫌いとかなく普通に食べる。

そんな次女三女が「美味しいよ!」とどれだけ言ってもこの日は2人の箸、そして2人の心を動かすことはできなかった。

試食コーナー。

青椒肉絲というアプローチは失敗したが、何事もトライアンドエラーである。また別の工夫をすればいい、いつかピーマンにも光が差す日が来るはず。
そう考えていた矢先、いつものように家族でイオンに出掛けた。子供たちのお目当てはお菓子コーナー、そして試食コーナーを探すことである。

いつからそうなったか、なぜそうなったかわからないが、我が家の子どもたちは試食コーナーが好きで、あれば必ず立ち寄る。なんならすべての試食コーナーをコンプしようとしさえする。
彼女たちにとって食べ物の美味しい、美味しくないは関係なく、何が出てくるかわかならないランダム性や一口大で出されるあの形そのものが楽しみなのだ。
今回も早速見つけて、足取りよく試食コーナーへ向かう娘たち。

「こちら試食いかがですか?皆さんどうぞ!」

出されたのは青椒肉絲だった。
流石にこれ長女は食べな..え?食べるの??

長女はスタッフのおばちゃんから小さな銀色のトレーに盛られた青椒肉絲を受け取り、ほとんど一口で食べていた。なんならお代わりを欲しそうにしている。

あんなに嫌がってたのに試食は食べるんかい。
私なりに分析してみた。
これは決してCook ド○の味付けが良かったわけでもなく、おばちゃんの調理が優れていたわけでもない。試食コーナーが持つ特別感、試食コーナーという最高のエンタメが優ったのだ。そう思いたい。
とは言えこれで長女のピーマン嫌いが克服できた。試食コーナーにサンキューである。

後日。
改めて食卓に青椒肉絲を出してみた。

「苦いから好きじゃない」

ってなんでよ?!

続く。

鈴木豊人_青椒肉絲(チンジャオロース)_写真2.JPG
ピーマンの肉詰めに勤しむ娘たち。

補足。

知覚は場所によっても想起されるものです。
我が家の場合、食卓で出てくるピーマンは苦いという場所に起因するものもあるのでしょう。決して父親が作るから不味い(苦い)というわけではないと思いたい。
幼少期から形成された味覚(ある意味思い込みなのですが)それを変えていくにはまだまだ時間がかかりそうです。

そしてこのまま終わるとまたメシの話で終わってしまい、いい加減トレイルの文言消せと言われそうなので最初の痛みの話題を少しばかり。

痛みは怪我をしてもしなくても痛いと感じれば痛いと感じるものである、という話でした。トレイルランナーであれば
「膝が痛い」
「張脛靭帯が痛い」
とレース中何度も苦しめられる人もいるでしょうが、その痛みの大半は思い込みです。
元々不安を感じていた部分(心理的個人的な経験の蓄積)に対して脳はとても敏感です。長距離レース中そうした部分に
「ちょっと痛いかも」「やっぱり痛いな」
と意識を向け痛みを自ら拾って感じ続けてしまうと、痛みの強化学習というのが発動されます。痛いと感じ続けることで余計に痛くなっちゃう、思い込みの痛みを更に刷り込んでもっと痛くなります。

と、結構乱暴に話を展開しましたが「痛みは思い込み」そう考えると、ふっと気持ちが軽くなりませんか。
レース途中で痛くなっても次のエイドまではきっと進めるはず。
それを何度か繰り返していくと、今度は脳がやめることの方が面倒に感じてきて、きっとそのままゴールまで辿り着けますよ。

…これでフォローできてますかね?笑


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