HENRO Trails〜四国からの手紙〜
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鬼が城100のこと

今回は、前回の予告どおり、鬼が城100のことを書いてみようと思います。

鬼が城100、通称「鬼100」は、プレも含めると今年で4回目の開催になります。コンセプトは、HPにも掲げている「四国からもっとマイラーを」です。コースは一周20キロ、累積標高940メートル。トレイル、林道、ロードがだいたい3分の1ずつ入る周回コースで、5周すると100キロ、8周すると100マイルになります。制限時間は100キロが25時間、100マイルが42時間です。

はじまりは、ほぼ勢いでした

鬼100をやろうと決めたのは、2023年4月の鬼Pの打ち上げの場でした。かなり乱暴に言えば、ほぼ勢いです。きれいな話にしようと思えばいくらでもできるのですが、実際はそんな感じでした。

私自身の初マイルは、第1回のクマン100でした。その後もクマンには、ボランティアスタッフやペーサーとして関わらせてもらってきました。そのなかで一番驚いたのは、鬼Pの運営とは違う、20名ほどのスタッフ体制で100マイルの大会を回していることでした。「このくらいのミニマム運営なら、自分たちでもできるかもしれない」と思ったんです。いま振り返ると、あのときは理念よりも何よりも、まず「やってみたい」が先にありました。

ただ、最初から100マイルを名乗るのは、さすがにハードルが高すぎるとも思っていました。そこで最初はプレ大会として、100キロで始めることにしました。UTRAメンバーの顔の広さと熱量にもかなり助けられて、プレにもかかわらず、板垣さん、万場さん、古川さんといった関西の濃い顔ぶれがゲストランナーとして来てくださいました。地方の小さな大会なのに、ずいぶん豪華な顔ぶれになったと思いますし、選手もスタッフも想像以上に盛り上がりました。終わったあとには、「ちゃんと次につなげたい」と思うようになっていました。

20キロ周回にした理由

そこから2024年の本開催に向けて、UTRAメンバーと話し合って見直しました。会場も変えましたし、開催時期も10月の3連休に寄せました。ただ、そのなかでも自分としていちばん大きかったのは、コースをどう設計するかでした。

最初は、小海のようなもっと長い1周コースも考えました。35キロくらいにして、一周ごとの達成感が大きい形も面白いんじゃないか、と。実際、そのほうがレースとしては映える部分もあると思います。

ただ、考えれば考えるほど、準備も大変ですし、スタッフ配置も重くなります。面白そう、だけでやると、たぶん続かなかったと思います。そうやってあれこれ考えた結果、結局20キロ周回に落ち着きました。短すぎず、長すぎず、選手にとってもスタッフにとっても回しやすい距離です。周回コースなので補給やリタイアの判断もしやすいですし、100キロから100マイルへ進む人にとっても、長い距離の感覚をつかみやすい。鬼100の20キロ周回は、派手さよりも、まず「続けられること」と「挑戦の入口になること」を優先した結果です。20キロ周回といっても、言葉だけではなかなか伝わりにくいと思います。コースの空気感は、この動画で少し感じてもらえるかもしれません。

鬼100は、どこを目指す大会なのか

もうひとつ大きかったのは、制限時間をどう置くかでした。鬼100は10月の3連休開催です。四国圏域や近隣の地域なら、選手もスタッフも余計な休みを取らずに参加しやすい。その現実的な良さは大事にしたいと思っていました。一方で、100マイルをやる以上、時間を短くしすぎれば間口が狭くなります。だからといって長くしすぎると、運営の負担が一気に増えて、継続が難しくなる。25時間と42時間という設定は、その間でかなり悩んだ末の数字です。選手の挑戦を受け止めつつ、準備や撤収まで含めて、運営側が無理をしすぎない最大値を探った結果でもあります。正直、このあたりは今でも毎年少し考えるところです。

そして、いちばん考えたのは、鬼100をどんな立ち位置の大会にするか、ということでした。

クマンには強いリスペクトがありますし、実際に自分自身もかなり学ばせてもらいました。だからこそ、その良さをそのままなぞるのではなく、鬼100は鬼100として別の役割を持つ大会にしたいと思っていました。

クマンは「初めての100マイルを応援したい」というコンセプトの大会ですが、実際にはかなり難しい大会です。UTRAメンバーにもDNF経験者がいました。だから私は、鬼100を、マイラーを諦めかけた人がもう一度手を伸ばせる場所、動き続ければ完走に届くかもしれないと思える場所にしたいと考えていました。言ってしまえば、「初めての100マイル」というより、「最後の砦」に近いイメージです。100マイルはもちろん簡単なレースではありません。でも、ただ厳しいだけのレースにもしたくなかったんです。

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「もう一度手を伸ばせる場所」。鬼100の思いが表れた、2024大会最終ランナーのゴールシーン

少しずつ、大会の輪が広がってきたこと

2024年大会では、万場さんが100キロで圧巻の走りを見せてくれましたし、山本諒馬さんも同じ部門に参戦してくれました。160キロには、シガウマラ族長の奥村さん、そして当時かなり勢いのあった竹村さんも入って、会場の空気を引き締めてくれました。

大会としてはまだまだ手探りでしたが、選手それぞれの本気の挑戦と、それを会場全体で見守る空気が、鬼100らしさになっていくのかもしれないと少し見えた年でした。

2025年は、その輪郭をもう少しはっきりさせるための年でした。ボランティアスタッフのシフトや仮眠環境を見直して、スタッフも少しでも楽しく関われる大会にしたいと思いました。鹿のコルエイドをやめたのも、100マイルの長いエイド区間への対応を考えた結果です。

エイドも、私自身が彩の国や最上稲荷で経験したことをかなり参考にしました。ミルクティーや炭酸飲料の種類を増やしたり、稲荷寿司やパスタスープを出したりしたのはその影響です。一方で、チクキューやたこ焼きは、こちらなりの色を出したくて加えたものでした。

それと、UTRAメンバーの知り合いである「まめさんコーヒー」さんが、完全無償でコーヒーを提供してくださったのも本当にありがたかったです。こうやって少しずつ大会の輪が広がっていくのは、主催者としてとてもうれしいことでした。選手だけではなく、スタッフも含めて、長い時間を無理なく支えられる大会にするには何を整えるべきかを考えた年だったと思います。

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支える側の笑顔も、鬼100の大事な景色
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少しずつ形になってきた、鬼100らしいエイド

この年も、UTRAメンバーのつながりや声がけにかなり助けられて、伊藤さん、尾藤さん、廣瀬さん、牧野さん、徳本さんに加えて、7trailsから石川さん、中元寺さん、森谷さん、田中さんにも参戦していただきました。2024年に続いて、にぎやかな顔ぶれとなり、こちらとしても自然と気合いが入りました。BBQやじゃんけん大会まで含めて、レースの外側もかなり賑やかになりましたし、7trailsラジオ練やIBUKIステーションで取り上げてもらえたこともあって、鬼100のことを知ってもらう機会が少しずつ広がった年でもありました。

ゴール会場でのジビエBBQ
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尾藤さんが盛り上げてくれたジャンケン大会

4回目を迎える今年に思うこと

そして今年2026年は、さらに少しだけ裾野を広げてみることにしました。KUSENBU QUEST 50を見習って、40キロと60キロの部門を新たに設けます。いきなり100キロや100マイルではなくても、まずはレース実績を積みながら、長い距離に近づいていけるようにしたいからです。その一方で、200キロ部門も新設します。160キロのさらに先、修行というより荒行に近い領域ですが、そこまで行きたい人の受け皿も作ってみたくなりました。160キロと200キロの完走者にはバックルも贈る予定です。

こうして振り返ると、鬼100は最初からきれいな形で始まった大会ではありませんでした。勢いで立ち上げて、終わってから反省して、また少し手を入れて、その繰り返しでここまで来たのだと思います。

それでも4回目を迎えるいま、最初のころとは少し気持ちが変わってきました。「四国からもっとマイラーを」というコンセプトは変わりませんが、その入口は一つでなくていいと思うようになりました。40キロでも、60キロでも、100キロでも、160キロでも、200キロでも、それぞれの距離から長い道に踏み出せる場でありたい。鬼100が、初めの一歩になる人もいれば、もう一度挑み直す場所になる人もいる。そんなふうに、いろいろな人の「次」につながる大会として、これからも少しずつ、メンバーのみんなと育てていけたらと思っています。

鬼100のことを少しでも気にしていただけたなら、大会HPものぞいてみてもらえたらうれしいです。現在、エントリーも受け付けています。


廣瀬岳志のアバター

@uzu_take