玉転び八起き
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100km

皆さんこんにちは7trailsのたまきちこと玉田です。

この連載は、筆者たまきちが走りはじめて1年でASOボルケーノトレイル完走に至るまでの軌跡を綴っています。(需要はあるのか)

さて第4話は、南阿蘇カルデラ・ショートを完走してすっかり調子に乗っているたまきちが、次なる距離を意識しはじめた2025年7月末ごろから振り返ってみようと思います。


上には上がいる

「ショートはロード比率が高くて、景色いいところも通らないし物足りなかったな。ミドルにしときゃよかったな。」

南阿蘇カルデラ・ショートを走り終えた直後から、もうそんな生意気なことを考えていた。

ランニングを始めてまだ2か月。初めてのトレイルレースで18kmを走り切り、3時間切りまであと22秒。悔しさはあったが当初の目標だった「完走」は余裕で達成できたことで、少しだけ自分に自信がついていたのだろう。

早速、南阿蘇カルデラの翌週、誘われるがままに飯盛練フルコースに意気揚々と参加。イシカワさん、中川さん、清原さん、安河内さん、ちゆきさんと一緒に走る回だ。

飯盛練には「キツいポイント」がいくつかあるが、その中でも後半の高祖神社への下り→登り返しは個人的に一番しんどいと感じている。

終盤なのもあって消耗もしているから、下りでも脚を攣りそうになるし、ましてや登り返しは息も絶え絶え、無意識に脚が止まっていることもある。

そんなキッツい登り返しを、清原さんが普通に走って登っていった。

普通に。走って。

「え、そこ走るの?」

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。あっけにとられ、駆け上がる清原さんの背中をぽかんと見上げるが止まる様子はない。

「上には上がいるって、こういうことか。」

走りはじめて2ヶ月で南阿蘇ショート18kmをまあまあのタイムで走りきったなどということは、何も特別なことではなかったのだ。

南阿蘇を完走した翌週、早速現実を突きつけられ少し目が覚めたような気がした。

この日、清原さんとははじめまして。
飯盛練最初の展望。ガスがかかる景色も味がある。
自分は息も絶え絶え。清原さんは平然としている。

そこから先の週末は、ほぼ毎週何かしら走った。

  • 南公園を一人でぐるぐる周回
  • 飯盛練(毎週のように顔を出す)
  • 油山(ソロで登る)
  • 大濠公園~百道~愛宕浜~今宿方面へ一人ロング(約25km)
  • 雨の大濠公園を、びしょ濡れで周回

レースに向けて何かを逆算していたわけではなく、単純に「自分の身体はどこまで動くんだろう」と試していた時期だったんだと思う。

積み上がってるかどうかよりも、ただただ走れる距離が少しずつ伸びていくのが面白くて、気がつけば距離を伸ばすこと自体が目的になっていたかもしれない。

ひとりで今宿あたりまでを含む26kmを走った。
いつぞやの飯盛練。高祖に降りたくないと駄々をこねる石川さん。

100kmは、まだ遠く

グルランで誰かが「ボルケーノ」という言葉を口にするたび、耳がぴくっと反応するようになったのもこの頃だったと思う。

阿蘇外輪山を含む100kmを超えるロングレース。自分がそれを走るなんてことはまだ想像できなかったが、気になって仕方がなかった。

ただ現実は甘くない。トレイルレースには参加資格というものがあり、いきなり100km超のレースに出られるわけではない。

まずは30km超を完走して、ようやく50kmのレースに出られる。そして更に50km超を2本完走して、やっと100km超のレースに挑戦できる。

つまり、100kmを走りたいと思っても、その前に30km、50km、50kmと、段階を踏む必要がある。

じゃあとっとと30km超のレースに出ればいいじゃんという話なんだけど、当時の九州には手頃なレースがなかなか無いのである。

走力うんぬんの前に、そもそも出る資格がない。地味にきつい壁だ。「やる気はあるのに、ぶつける先がない」

そんなもどかしさを感じていた。

それでも、できることはやっておこうと、実績づくりのために動いた。

  • 8/13 広島県 SAIOTO COLORS 31km(11/2開催)エントリー
  • 8/15 熊本県 南阿蘇カルデラ 50km(12/20開催)エントリー

まだ1回も50km超を走ったことがないくせに、次の予定だけはどんどん埋まっていく。この加速度、初回(第1話)でシューズに道具に大会にとポチポチしていた頃からなんにも変わっちゃいない。

そんなある頃、イシカワさんが「九千部の山域で50km超のレースを作れるかもしれない」というような話をし始めていた。

まだ開催が決まっているわけでも許可が取れているわけでもない。ただの「できるかもしれない、できたらいいな」レベルの話。

それでも、この時期の九州に50km超のレースが少ない状況の中、この話は大きな希望になった。

まだほんとに開催されるかわからないのに、勝手に「それに出てボルケーノの権利をとろう。」と決めた。

……これは後日談というか、今になって振り返ってみれば、という話なのだけど、

初レースとなった夏の南阿蘇カルデラトレイル、実はミドル(30km)の出走資格は「高校生以上」のみ。

もし7月の初トレイルレースを18kmではなく30kmでエントリーをしていたら、その時点で50kmレースへの参加資格はクリア。

さらに8月末にはやっちろドラゴントレイルの50kmがあり、12月の南阿蘇カルデラトレイルロング50km。

つまり、ちゃんと調べ、ちゃんと選んでいれば、九州に居ながら年内に50kmを2本完走して100km超のレース(ASO VOLCANO TRAIL)への参加資格までたどり着けた可能性は、「普通にあった。」……というわけだ。

まあ、そんなことは当時の自分は知る由もなく。

そもそもこの時点では、「100kmに出たい」と思い始めたばかり。大会の参加資格を逆算してレースを選ぶなんて発想もなかった。

無知は遠回りを生む。

ロングに出るための執念。エントリーしまくり。

1年先をゆく男

この時期、周りからよく名前の挙がる人がいた。岩男さんだ。

グルランにもいつもいるし、初の飯盛練にも帯同してくれ、年齢こそ自分より1個下だがトレイルにおいては何歩も先ゆく大先輩だ。

聞けば2024年5月ごろに7trailsに出会い、そこからおよそ1年で2025年5月のASO VOLCANOを完走しているというのだから凄まじい。

なもんだから、イシカワさんやトモノウさんは事あるごとに、

「岩男くんができたんだから、たまきちもいけるやろ。」

と発破をかけてくる。半分は励まし、半分はいじりだと思う。

「いやいや、無理ですって!笑」

と笑いまじりに返すも本心である。

これは前の話にもつながるが、岩男さんは自分より先をいく条件が揃っていた。

前年の7月には、たしか霧えびのショートだっただろうか。そこで30km超を走っている。

そこから50kmのレースを2本完走し、翌年の2025年5月のASO VOLCANOへ。

一方、自分は初トレイルを18kmから始めて、30kmの実績を作るのもこれからだった。

ほんの少しのタイミングの違いだけど、岩男さんはもう1年先の景色を見ている。

「岩男さんが1年で行けたんなら、俺もいつか。」

そんなことをぼんやり思いながらも、当時の自分にとって、まだまだ遠い存在だった。

岩男さんは常に何歩も先を行っている

SOUTHPARK100

「出たい、出たい。」と前々から思っていたSOUTHPARK100。

7月24日のグルランでイシカワさんから、「7/25に正式案内送るけど大丈夫か?」
と聞かれ、「もちろんっす。」と即答。翌日、正式に案内が届いた。

これは公式なレースではなく、南公園を使った自主的な草イベントという位置付けだ。

100kmを走って何かの実績を作る、というよりも、「自分の身体が100kmでどうなるのか、見てみよう。」そんなノリだった。

この時点では、100kmをちゃんと走り切れるなんて思っていない。
そもそも、まだ50kmはおろか一人で30kmすら走ったことがない。

それでも出てみたかった。100kmという距離を、自分の身体で一度体験してみたかった。

トモノウさんからも、「100km走れなくてもいい。何kmでどんな変化が起きるのか知るだけでも、十分自分を知る経験になる。」

というようなことを言われた。
「そうだなそうだな。」と思いながらも、ひょっとしたら100kmいけちゃうんじゃないか。という根拠のない自信もあったように思う。

ユニフォーム替わりに早速購入

更にSOUTHPARK100の2週間ほど前の週末、ベンさんが企画してくれた「鬼練」があった。大濠公園を起点に、油山・市民の森方面のロードを周回し、走れる人は50kmを目指す自主イベントだ。

鬼練は鬼練で思い出を綴ろうと思えばネタはあるも一旦ここは割愛。

とにかく真夏の暑さがえげつなくて、自分は35kmくらいで力尽きた。

この50kmすら走りきれていない男が、この2週間後には100kmに挑もうとしているのだから、我ながら無謀にも程があると思うが、当時は本気で「まあ、なんとかなるだろう。」くらいの気持ちでいた。

もう少し「なんとかならない可能性」についても考えておいた方がよかったのだけど。

市民の森周回コース途中から望む福岡市内
皆が周回する中、ひとり大休憩。
フィニッシュを彩るは田中精肉店のお弁当

鬼練で35kmまで走って力尽きたあとも、練習は続けた。

グルランはもちろん、一人で西公園や南公園を走ったりと。
けど、どれも100kmに向けた特別な練習、というほどでもない。

そして本番の2日前、ちょっとした事件が起きる。南阿蘇カルデラ直後に買ったCOROS PaceProがまさかの充電不能に。

その前からも充電になったり解除されたりを繰り返すような変な挙動をしてて心配はしていたが、ここにきてかと。

「え、100kmの本番で時計使えないの?」

と、かなり焦った。調べるとアダプタの初期不良のようだ。公式に問合せるとすぐに代替品を送る。とのことだが、さすがに2日では届かない。

廉価版をAmazonで探すがどれも到着は土曜本番の日付だ。こうなったらと、当日までは一切触れずに過ごし、なんとか70%くらい充電を残して臨むことに。

ひと安心。とまではいかないが、なんとかなりそうだ。

充電されないCOROS これには焦った

はじまったサウパ

そして迎えたSOUTHPARK100当日、土曜日は14時過ぎに南公園の会場に到着した。

すでに走っている人がいる。ラジオ練にもよく出ているモッチーさんだ。

モッチーさんはSOUTHPARK100は2回目で、土曜の早朝から走りはじめひとり前人未到の100マイルに挑戦していた。

当時はまだ「はじめまして」に近いくらいだったこともあり簡単な挨拶しかできなかったが、自分が到着した頃には既に50km近く走り終え横になって休憩をしていた。

「すごっ」トレイル界隈には鉄人が多すぎて毎度驚かされる。

さて。。。
と気を取り直し、たまきち号(電動アシスト付自転車)から荷を下ろす。

アウトドア用の小さいイス、釣り用のバッカンに飲食物、シート、テーブルを設置。小さなベースキャンプを完成させ、ボチボチ走り始めた。

たまきちベース

1時間半ほどして、だいたい10kmを過ぎたあたりだろうか。
16時からの伊丹さんによるポール講座を目当てに人が集まり始めた。

だいたい15名くらい。南公園の起伏を利用した実践的な講習だ。
自分はポールを持っていなかったので、遠巻きに撮影。

伊丹さんによるポール練

講座が終わると、参加者の多くが17時ごろから走り始めた。1年先ゆく男、岩男さんも。

岩男さんにとってのSOUTHPARK100は、その年11月に控えたご自身初の100マイル「球磨川リバイバルトレイル(球磨川コース163km)」に向けた調整でもあった。

ポールが使えるレースなので、伊丹さんのポール講座を早速実践形式で練習するというわけだ。ザックや装備も本番を想定して、レースシミュレーションのような走り方をしていた。

南公園をぐるぐる周回するので、岩男さんだけでなく他のランナーとコース上で普通にすれ違う。

(あ、岩男さんだ。)

またすれ違う。だか自分が何度も休憩所で休んでる間、そこに岩男さんの姿は見えない。

「まあ、岩男さんのほうが速いしな。」くらいに思っていたが、この日岩男さんはレースのエイド間を想定して20kmおきにしか休憩しないと決めて走っていたらしい。

自分は3~4周ごとに休んでいる。岩男さんは20km(約10周)走らないと休まない。

「そりゃ休憩所で会わないわけだ。」


現在地を知る

最初の20kmくらいまでは、まだ元気だった。

南公園を1周13〜15分。普段のグルランより、ほんの少し遅いくらいのペースだった。今思えば、100kmを走るには完全に速すぎる。

40kmくらいまでは、1周16〜18分。その後、中元(寺)さんが合流し、「登りは歩いたほうが身のため」とアドバイスをもらってからは登りを歩くようにした。それでもまだ下りは走れていた。

55kmくらいになると、1周18〜20分。だいたいこれが深夜0時頃だったと思う。

ここから、明らかに身体の様子が変わってくる。1周20〜22分。股関節や膝裏が痛みだし、下りも歩くようになった。

それでも一歩ずつ進む。休憩も、最初のうちは4~5周に1回、8~10km走って休む感じだったが、夜になってからは2周走っては休憩。また2周走っては休憩。

気づけば、休憩所の主のようになっていた。

明け方、ラストスパートに食べたわかめラーメン。スープが染みた。
月明かりがランナーの足元を照らす

その後、夜が明け、日が昇り、90kmを超えた頃には歩きでも脚の痛みから、下ることが完全に無理になっていた。

スライド時にイシカワさんに声をかけ、残りの5kmは南公園を登り切ったあとのフラット区間だけ走らせてもらうことにした。

また、この頃には多くのランナーが100kmを達成しコース上から消えていったが、岩男さんと同じく球磨川リバイバルトレイル100マイルを目指す長老こと中川さんや、もともと合流時間の関係で100km走るつもりは無かったはずがサウパの熱量に感化されて「正午の制限時間まで走りつづける」と決めてしまったトモノウさん。そして何より前人未到の100マイルまであと僅かに迫ったモッチーさんなどなど、「100km」という数字だけではない、各々の挑戦に立ち向かう仲間もまた多く残っていた。

とっくに走り終えた川原さんたちも、コースの真ん中で「ナイスラーン!」と声援を送り続けてくれる。フラット区間を歩く自分はだいぶ情けなかったが、それでもその声援に助けられなんとか歩く。

歩く。

歩く。歩く。

そしてイベント終了1時間前、日曜日11時頃だっただろうか。
COROSの通知音と振動。

文字盤には「100.00km」
なんとか、なんとか、100kmを超えることができたようだ。

最終的な記録

距離:100.12km
運動時間:15時間25分
総時間:20時間12分

数字だけ見れば、完走。でも実感としては、「走り切った」というより「どうにか終わった」に近い。走れなくなっては歩き、歩けなくなっては休み、また少し動く。その繰り返しだった。それもそのはず、実に5時間近く休憩している(総時間-運動時間=休憩)。

トモノウさんに言われていた「何kmで身体にどんな変化が起きるのか」を、頭ではなく自分の身体で思い知った。強くなった実感より「足りないものだらけ」という実感のほうが大きい。それでも、100kmを走ってみてはじめて自分の現在地がわかった気がした。

岩男さんの背中はまだ遠い。なにせコース上では何度もすれ違ったのに休憩所ではほとんど会わなかったくらいだ。

それでも、「1年でそこまで行けるんなら、俺も行きたい。」

SOUTHPARK100は、夏の終わりにそんな気持ちをぼんやりと芽生えさせた。

ログ。右上の新記録の赤字が嬉しくて思わずスクショをとった。

次回は、100kmという距離を知ってしまったたまきちが、それでもなお前を向いていく2025年の秋にフィーチャーして、回想してみようと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


玉田航希のアバター

@adamat1984