阿蘇の草原は、自然ではない。人が毎年火を入れ、草を刈り続けることでだけ、あの開けた景色は存在できる。高齢化と担い手不足により、その草原が今、急速に失われつつある。この特集では、千年続いてきた草原の成り立ちと危機の現状、そしてその保全に関わり始めたトレイルランナーたちの動きを、全三回で描く。第二回は、面積減少の現実と、牧野組合が迎えている限界を。
数字が示す、草原の現実
阿蘇の草原面積は、過去100年で半分以下になった。
この数字を、一度立ち止まって考えてほしい。半分以下というのは、かつてそこにあった草原の半分以上が、すでに失われたということだ。しかも、その減少は止まっていない。直近の30年だけを見ても、約7,500ヘクタール——東京都の山手線内側の面積をゆうに超える広さが消えた。

熊本県の試算によれば、このまま推移すれば30年後には阿蘇の草原の6割が失われる可能性があるという。いま30代のランナーが60代になるころ、あの景色はもう存在しないかもしれない。
減少の原因は、ひとつではない。1950〜70年代に行われた大規模な植林や人工草地への転換、農業の機械化による牛馬の役割の消滅、化学肥料の普及による草原資源の不要化、茅葺き屋根の消滅——草原が生活に必要だった時代が終わり、草原を守る「理由」が地域から失われていった。
そして決定的なのが、担い手の高齢化だ。

野焼きに参加する地元の担い手のうち、50〜70代が半数を占めている。作業を支えてきた世代が、確実に年をとっている。後継者はいない。牧野組合の中には、もはや野焼きの継続が困難になったところも出始めている。組合が機能しなくなれば、その牧野の草原は誰も火を入れなくなる。翌年から、森林化が始まる。
草原の消滅は、ある日突然起きるわけではない。じわじわと、しかし確実に進む。気づいたときには、取り返しがつかない。
牧野組合という仕組みが、限界を迎えている
阿蘇の草原を理解するには、牧野組合という仕組みを知る必要がある。
牧野とは、地域の農家や地権者が共同で利用・管理する草地のことだ。阿蘇には多数の牧野が点在しており、それぞれを管理する牧野組合が存在する。組合員は農家や地権者であり、野焼き・輪地切り・放牧・採草といった草原維持の作業を、組合として分担して行ってきた。
この仕組みは、草原が地域の生産基盤であった時代に機能していた。牛を飼えば草原が必要だ。草原を維持するために野焼きをする。野焼きをするために組合員が集まる。その循環が成立していた。
だが今、その循環が壊れている。
牛を飼う農家が減った。牛肉の輸入自由化による畜産業の低迷、農業全体の縮小、後継者不足——複合的な要因が重なり、放牧をする農家の数が急減した。草原を必要とする人が減れば、草原を維持する動機も薄れる。組合員が高齢化しても後を継ぐ若者がいなければ、組合そのものが維持できなくなる。

輪地切りの問題も深刻だ。阿蘇全域の防火帯の総延長は600kmを超える。この距離を、高齢化した組合員だけで毎年維持することは、もはや物理的に限界に近い。草原と森林の境界が複雑に入り組んでいる場所ほど、輪地切りの距離は長くなる。皮肉なことに、草原の森林化が進むほど、残った草原を守るための輪地切りの作業量は増えていく。
担い手が減り、作業量は増え、技術の継承も途絶えつつある。この三重苦が、草原の未来を圧迫している。

それでも、火を絶やさないために
手をこまねいているわけではない。
1999年、危機感を持った人たちが動いた。公益財団法人阿蘇グリーンストックが、野焼き支援ボランティアの仕組みを立ち上げたのだ。九州を中心に全国からボランティアを募り、初心者向けの研修会を義務付けたうえで、担い手が不足している牧野に派遣する。
最初の研修会には290名が集まった。「都会の人が進んでやってくれるわけがない」と懐疑的だった地元の人々を驚かせた数字だ。その後、活動は年々拡大し、現在では年間70の牧野に延べ2,700名以上のボランティアが入るまでになった。阿蘇全体の4割強の牧野を、ボランティアが支えている。

この活動が示すのは、草原を守ることへの共感が、地域の外にも広がっているという事実だ。一度も阿蘇で牛を飼ったことのない人間が、泥だらけになって輪地を刈る。そこには損得を超えた何かがある。
ただ、ボランティアの善意だけで草原全体を維持し続けることには限界もある。600kmの防火帯を毎年維持するには、それを支える財源と、継続的に人を集め続けるための仕組みが必要だ。草原の危機は、善意の総量の問題ではなく、社会の仕組みの問題でもある。
それでも、火は絶やされていない。今年も、誰かが草原に入り、輪地を刈り、火を入れた。そのことを、ここに記しておきたい。


第3回では、この活動に新たに加わってきた人たちを紹介する。トレイルランナーたちが、草原と、どのように関わり始めているか。