中学生になっても、僕はよく1人でばあちゃんちに泊まりに行っていた。
実家では映らない深夜番組「ギルガメッシュナイト」が、なぜかばあちゃんちのテレビでは映ったからだ。理由は、それだけだった。
当時はワイヤレスイヤホンなんて便利なものは存在しなかった。ばあちゃんにバレないよう、テレビの音量を1か2という極限まで下げ、画面の目と鼻の先で息を潜めていた。廊下のギシッという物音や気配に神経を研ぎ澄ませ、心臓をバクバクさせながら深夜の画面を見つめていたあの緊張感。同世代の方なら、きっと共感していただけるのではないだろうか。
焼き飯と親子丼と、囲碁クラブ
理由はどうあれ、僕は物心ついた時から筋金入りの「ばあちゃん子」だった。

祖父母は囲碁クラブを経営していて、休日はいつもそこに遊びに行った。常連のおじさんたちが煙草をくゆらせ、碁石をパチパチと鳴らす独特の空間。その奥で、ばあちゃんが手際よく料理を提供していた。焼き飯と親子丼が、とにかく美味かった。僕の料理好きの原点は、間違いなくあの食卓にある。
思春期になり、親とはうまく話せないことも増えたが、ばあちゃんとだけは何でも話せた。
大往生
そのばあちゃんが、9月4日の明朝、亡くなった。大正13年生まれの102歳。大往生だった。
今年、愛媛の「鬼ヶ城ピークストレイル」を走った後、会いに行った。その時はまだ食事も会話もできたが、亡くなる1週間前に再会した時は、もう食べることもできず、見るからに苦しそうだった。
十分に生きた。これ以上望んだら、罰が当たる。寂しさはあるが、悲しくはないと思える大往生だった。
90歳を超えても、掃除機を持って2階へ
ばあちゃんは、いつも働いていた。洋裁、庭の草むしり、掃除。90歳を超えても、重い掃除機を持って2階へ上がっていた。毎日、決まったルーティンを、淡々とこなす人だった。
派手なことは何もしていない。ただ、それだけを、ずっと続けていた。
僕はやるべき事が続けれていない。

縁がつないでくれた、福岡マラソン
そんな僕に先日、縁がつながって「福岡マラソン」に出走できることになった。
前回のコラムで「防府読売マラソン落選」を報告し、ショックでアイスを食べまくっていた僕に、まさかのチャンスが巡ってきたのだ。
今の走力だとサブ3を狙うなんて、口が裂けても言えない。4:15/kmで30km走れる気しないし、福岡マラソンはそもそも難コースだ。それでも、せっかくいただいた機会だ。行けるところまで、行ってみようと思う。
ばあちゃん、見ててほしい。——今は、ちゃんとアイスを我慢している。

